「当たり前」の中にある看護の意味。
こんにちは。あおいろ訪問看護ステーション代表・管理者の大橋です。
今日は、専門看護師の更新審査の結果発表日でした。無事に3回目の更新を終えることができ、これまでの歩みを振り返る中で、ふと思い出した実習での出来事があります。
15年前、ある患者さんと交わした会話
15年前の実習で、私は40代のがん患者さんを受け持たせていただきました。予後はあまり長くないと告げられていた方でした。
その方は、いつも小説を読んでいらっしゃいました。ある日、読んでいる本が芥川龍之介の『羅生門』だと知り、私は何気なく「お好きなんですか?」と尋ねました。

すると、その方はこう話してくださいました。
「息子がね、中学生になるんだけど、何を考えているのかわからなくって。だから、読んでいる本を私も読んだら、少しわかるかなって思って」
息子さんのことをもっと理解したい。そんな思いから、本を読んでいらっしゃったのです。
私は本屋さんで同じ『羅生門』を買い、読んでみました。そして、「こういうところが心に響いているんじゃないかな?」などと、二人で話をしました。
今振り返っても、特別な技術を使ったわけではありません。本を読み、感じたことを話し、一人の人に関心を持つ。日常の中にもある、ごく自然なやり取りでした。
何気ない関わりが、看護になるとき
当時の私は、この関わりが持つ意味を、十分に言葉にできていなかったと思います。
けれど、今ならわかります。
私がしていたのは、ただ患者さんと本の話をすることではありませんでした。その方が大切にしているものに関心を持ち、息子さんへの思いを知り、その人がどんなことを考え、何を願っているのかを理解しようとすることでした。
病気や症状だけを見るのではなく、その人の人生や価値観に目を向ける。そして、その人を理解しようとする関わりに意味を見いだす。
何気ない日常の関わりも、その意味を捉え、言葉にすることで、看護としての価値が見えてくるのだと思います。
看護の意味を言葉にするということ
専門看護師の役割の一つは、現場で行われている看護を振り返り、その実践が持つ意味を明らかにし、周囲に伝えていくことではないかと、私は考えています。
目の前で起きていることを観察し、患者さんの言葉や行動の背景を考え、看護師が行った関わりにどのような意味があったのかを言語化する。
15年前の私は、患者さんとの会話を大切にしながらも、その関わりが看護としてどのような意味を持つのか、うまく説明できませんでした。
けれど、経験を重ねた今なら、あのときの関わりを振り返り、意味を考え、言葉にすることができます。
それもまた、専門性を磨いてきたからこそ得られた力なのかもしれません。
「こんなんでいいのかな」と思っているあなたへ
日々の看護の中で、「こんな関わりでよかったのかな」「特別なことはできていないけれど、これでいいのかな」と感じることはありませんか?
でも、特別な技術や目に見える成果だけが、看護の価値を決めるわけではありません。
患者さんの何気ない言葉に耳を傾けること。いつもと違う表情に気づくこと。その人が大切にしているものを知ろうとすること。
そうした日々の実践にも、一つひとつ意味があります。
大切なのは、自分が何を感じ、なぜそのように関わり、相手にとってどのような意味があったのかを考えてみること。
自分が当たり前に行っている看護の意味に気づいたとき、その「普通のこと」は、かけがえのない看護の実践として見えてくるはずです。
そして、その意味を自分の言葉で伝えられるようになることは、自分自身の成長だけでなく、周囲の看護師の学びにもつながっていくと思います。
看護の意味を語れる専門看護師が、もっと増えてほしい
私は、日々の看護の中にある価値を見つけ、それを言葉にして伝えられる専門看護師が、もっと増えてほしいと願っています。
特別なことをした人だけが、専門性を持っているわけではありません。現場で積み重ねてきた経験を振り返り、その意味を考え、言葉にする。その積み重ねが、看護の専門性を育てていくのだと思います。
15年前に出会った患者さんとの会話は、今も私の中に残っています。
あのときの関わりを、今だからこそ言葉にできる。経験を重ねることの意味を、改めて感じた一日でした。
これからも、一つひとつの看護実践を大切にしながら、その中にある意味を考え、伝えていきたいと思います。


